気付き、感得、創造 情報の海から一粒のきっかけを探す

気付き、感得、そして創造 情報の海から運命の一滴を拾い出す

山田祥平氏の「書を捨てるな、書を変えよ」というITコラムを読んで、つくづく思う。
どこの家庭でも当たり前のようにTVが付いていた時代は本当の意味で『情報の海』だったと。

https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/config/1175874.html

そう言うと、デジタルネイティブの世代からは、「何を言ってるんだ。今の方が圧倒的に情報量が多いじゃないか」という声が聞こえてきそう。

確かにその通り。

だが、逆に問いたい。

あなたが有する情報はどれだけ広域で、豊かですか、と。

音楽にしても、映画にしても、「自分の好きなもの」や「関心のあるもの」しか知らないのではないか。

ニュースも、国内ばっかり、スキャンダルばっかり、関心のないスポーツや地域のイベントに関する知識はまるで皆無。

「活字中毒」を自負しても、同じような話題や書き手に偏って、一歩フィールドの外に出れば、びっくりするほど何も知らなかったりする。

それが本当に「情報豊か」かといえば、当人でさえ首を捻りたくなるのではないだろうか。

1日は24時間だ。それは誰もが受け入れなければならない事実でもある。そのうち10時間を睡眠や入浴、食事などに費やしたとして残りは14時間。忙しければ睡眠を削るなり、食事をしながらコンテンツを消費したりしなければならない。

コンテンツをたくさん消費すれば、それは残りの人生に確実に役に立つ。人生のなかで、いかに多くのコンテンツを消費できたかは、その人の人生を左右するかもしれない。そのコンテンツ消費の多くを動画視聴に費やすことははたして得策なのだろうか。

<中略>

YouTubeのようなオンデマンドサービスは、コンテンツをバラバラにすることに成功した。ニュース番組なら、複数本のニュースを並べてまとまったパッケージにするのが当たり前だったが、バラバラになっていれば、興味をひくニュースだけをつまみ食いできる。見たくないニュースは見なくてもいいわけだ。

その代わりに「偶然」が排除されてしまう。ダラダラとつけっぱなしでTVニュースを眺めていて、たまたま流れたニュースに興味をひかれることの可能性が低くなるわけだ。

新聞だって同様だ。新聞を1面の最初からページをめくりながら丁寧に全文読む人はまずいない。見出しを飛び飛びに目で拾い、興味をひいた記事だけを読む。紙の朝刊を読むという行為でも、速い人もいれば遅い人もいる。それは興味の範囲が広くて読む記事が多いかどうかというよりも、記事を読む速度に依存する。

ものごとにはバランスも大事なので、あらゆる動画コンテンツを否定するわけではないが、すべてが動画にシフトしてしまうと、人間がかぎりある時間しか持たない以上、一生の間に得られる情報の総量は、結果として減ってしまうのではないか。

山田祥平のRe:config.sys

どこの家庭でも当たり前のようにTV番組が流れ、お父さんが新聞を読み、子供は学研本やマンガ雑誌に夢中になり、友達と遊ぶといえば、手持ちの雑誌や漫画本を持ち寄って、大乱読大会。いがらしゆみこのスイートなマンガを持っている子もいれば、高階良子やわたなべ雅子みたいなオドロオドロしいホラーマンガを集めている子もいて、私みたいに池田理代子一筋の読み手もずいぶん感化されたもの。里中満智子も、大和和紀も、友達付き合いがなければ、目にする機会もなかっただろう。「同じ里中満智子のファンだから仲良くなる」のではなく、マンガ好きにジャンルなど無かった。面白ければ、手塚治虫でも、鴨川つばめでも、山上たつひこでも、何でも読む。今みたいに個人レベルで「同世代の子が何を好んで読んでいるか」など知りようがなかったから、みな、自分の感性に忠実だったし、好きなものは好き、で通ったんだよな。たとえ誰に共感されなくても。

同様に、TVも、新聞も、おっさん週刊誌も、そう。

一家でTVを見ていれば、「ま……また、美空ひばり……」「変なおっさん。細川隆元の時事放談」「スタイリー、スタイリー、けったいな健康器具」と、自分に興味のない情報もがんがん流れてくるし、興味なくても、サファリジャケットをきた中東特派員のおじさんが、世界の終わりみたいな顔をして「今、まさに、反政府軍による攻撃が始まったところです!」とか中継すれば、「なんや、なんや」で必死に見るし。そうかと思えば、民放では、ドリフが互いの顔にパイをなすりつけて、ギャハハハとかやってる。これで人の世の矛盾を感じない方がどうかしている。YouTubeも楽しいだろうけど、朝から晩まで「ひかきん」と「アップルペン」だけで、興味など湧くのだろうか。『あなたにおすすめの関連動画』が色々表示されたとしても、突然、お父さんにチャンネル権 を奪われて、見たくもない国営ニュースに付き合わされるわけでもあるまい? 祖父母がいれば、昭和歌謡大全。「青い山脈」「悲しき口笛」「東京ブギウギ娘」… こっちはピンクレディが見たいんですけど・・みたいな。

新聞も、全文をくまなく読まなくても、一面からTV欄まで、見出しを追うだけでも面白かったし、ネットのニュースサイトとは一目で飛び込んでくる情報量が圧倒的に違う。社説を読むうち、ふと紙面の下方に掲載された『新刊情報』に目が釘付けになったり、映画館の上映時間をチェックするうち、地域の文化イベントや社会問題を知ったり。当時の家賃も、給料も、誰に聞かなくても自然に覚えた。求人情報も賃貸情報も新聞に掲載されていたから。目的は、TV欄とグリコ森永事件の続報でも、その続きで、文芸評論や、スポーツ試合の結果や、有名経営者のインタビューや、今注目の科学技術や、いろんな情報を目にすることができたのが新聞のいいところ。

振り返ってみれば、将来に役立つ種は、そうした『脇道の情報』にあったような気がする。

国語辞典や英語の辞書でも、自分で狙って拾いにいった情報より、その三行先に書かれた単語の方がより記憶に残ったり(「契る」……な、なんか、いやらしい響きやな……みたいな)。

「調べれば、すぐに分かる」ことが高度な情報化社会の証のように言われることもあるが、本当の豊かさは図書館のような一覧性と体系的な整理能力にあり、個人仕様にカスタマイズされた「オレ様の本棚」とは本質的に異なる。たとえ、一秒後には知りたい答が分かったとしても、「知りたいこと」の幅が限られておれば、学べることも限られてくるのではないだろうか。

ジム・キャリー主演の映画『ブルース・オールマイティ』でもあったが、モーガン・フリーマン演じる“神様“は、その人を成功に導く為に、いろんなサインを出す。街の看板、電車の吊り広告、ラジオから流れる歌謡曲、新聞の見出し。だが、自分に拘る主人公のブルースにはそれが見えない。目に入っても、メッセージの意味が分からない。

たとえば、”神様”が、将来を迷っている社会人に、地下鉄のダイビングスクールの広告を使って、「今からでも遅くない! 体験入学、受付中!」というメッセージを送っても、何にも感じない人にはただの看板にしか見えないし、ましてそれが自分へのメッセージであるなど気付きもしない。

大事な情報は、身の回りの至る所にある。

だが、何の関心もない人にとっては、文字はただの文字、絵はただの絵でしかない。

たとえ、今その人に必要な何かが含まれていたとしても、感じ取る能力がなければ、それは情報にもヒントにも成り得ないのだ。

作中、潜水艇のパイロットであるヴァルターは、「今時、大学生でも、自家用の潜水艇で海底火山を見に出掛けるというじゃないか」と揶揄されて、下記のように反論する。

しかし、大学生が自家用潜水艇で海底火山を見に出かけたからといって、何だというのだろう? 見るだけなら誰でも出来るが、「観る」となれば次元が違う。覗き窓の向こうをぼんやり眺めて、火口溶岩が流れ出す様を手を叩いて喜ぶ物見遊山とは根本から異なるからだ。

《曙光》 MORGENROOD(上巻)

情報化社会というなら、人間の目に映る全てのものが”情報”だ。

海、山、空といった自然はもちろんのこと、道路、建物、家具、家電、ニュースサイトから電車の吊り広告に至るまで、あらゆる情報が目に飛び込んでくる。
耳に聞こえるもの、舌で味わうもの、肌で触れるもの、その他の感覚器で得るものも含めれば、私たちは日々、膨大な量の情報に接している。

だが、情報の方から何かを与えてくれることは決してなく、私たちが見出さない限り、文字は文字に過ぎないし、絵は絵のままだ。

情報取得のツールに長けても、見出す能力がなければ、何の意味もないのである。

見るだけなら誰でもできるが、「観る」となれば次元が違う。

注意深く観る。

疑いながら観る。

咀嚼しながら観る。

おおらかな気持ちで観る。

どんな風に観るかで、意味も大きく異なる。

見方を間違えば、意味のあることも意味を無くしてしまう。

人生を変えるような情報を探し求める人は多いが、そこに辿り着くには、十分な素養が必要。

それを養うには、「興味のあるもの」「好きなもの」だけでは不十分なのだ。

情報の海から『運命の一滴』を拾い出すのは奇跡のようなもの。

だが、探し求めれば、いつかは出会える。

聖書の一句、『求めよ、さらば開かれん』はそういう意味だ。

そして、それと分かったら、出会った瞬間のことをいつまでも忘れない。

その一瞬が、人生の全てを支えてくれる。

気付き、感得、そして、創造へ。

心から探し求める限り、誰にでも、そんな『運命の一滴』が存在する。

レーワルデンの公共箱

何の公共施設かは分からないが(配電盤? 物置?)、さりげなく絵が描かれているのがオランダらしい。

それもギラギラのポップアートではなく、17世紀の水彩画のような優しいタッチ。

オランダの曇り空を見れば分かるけど、ターナーやフェルメールが描いた、ぼんやりとした色彩は本物だ。

日本の抜けるような青空や、低空を綿菓子のように流れる雲とは異なり、遠い空の上を、灰色の水彩絵の具を溶かしたような雲が覆っている。

こんな公共箱に絵を描いたところで、何の得にもならないかもしれないが(作者も分からないし)、無機質な鉄の箱が置かれているより心が和む。

これもまた「路傍の情報」に過ぎないが、心を傾けて観れば、郷愁や歴史、町の精神や人々の心持ちを感じることができる。

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