生を愛する ~失おうと、挫けようと

生きることに意味なんて、ない。

人生に目的など必要ない。

そういう見方もできるかもしれません。

が、一方で、本当に目的なく生きていけるものでしょうか。

行き当たりばったりに見える人も、意外と、心の中に「これ」という指針を持っているもの。

社会の役にたつ仕事がしたいとか、身の回りの友人や家族を大事にしたいとか。

あまりにも当たり前すぎて、『目的』というほどではないのかもしれませんが、大なり小なり、「これ」というなら、それは十分目的に値すると思います。社会に役立つにしても、身の回りの人を大事にするにしても、自分を生かすことを考えるなら、それは人生の目的に他ならないのです。

 
だが、今なら生の意味がはっきりと分かる。この命が何の為にあるかも。
失おうと、挫けようと、人生においては一つのプロセスに過ぎない。
心に感じること、考えること、その一つ一つが命の営みだ。たとえ、それが不運でも、いつかは生きる糧となり、幸福への踏み台となる。
泣き、笑い、一瞬一瞬を全力で体験する、そのこと自体に意味があるのだ。
そして、いつの日か志を果たした時、その航路を振り返って思うだろう。
全ては悦楽に至る道筋だったと。
幸福というなら、命そのものだ。
禍福も突き抜けて、いつしか愛の高みへと到達することが人生の真の価値なのだ。

–自らと世界を愛することを知る–

第六章 断崖の下書き

上記は、ヴァルターがポルトフィーノで悟ること。

最終的に違う内容にしましたが、大体、同様の台詞は残しています。

どんな望みを持つにしろ、「自分を生かし、周りも生かす」ことが、その人に大きな悦びと自信をもたらすのは間違いないでしょう。

そして、その為には、自分の中に知性、感性、想像力、応用力、根気など、豊かな蓄えが必要です。

教則本だけ読んでピアノの弾き方を習得しようとしても、決して弾けるようにならないのと同じ、人生も机上で理屈を積み上げても、決して身に付くことはありません。一見無駄と思えるような経験からも人は学ぶことができます。生きて経験すること、そのものが人生の糧であり、何かを成したから偉い、何かを得たから幸福というわけではないんですね。

生きること、そのものを悦ばしく感じるようになれば、もう二度と、余計なことで心を煩わされなくなります。(アップダウンはあるにしても)

それを悟るまでが、青春時代の試行錯誤だと思います。

Photo:Enrique LopezによるPixabayからの画像

この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャーファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。好きな言葉は寺山修司の「詩を作るより、田を作れ」。昨今の生産重視の風潮にささやかに反抗しながら、古典文学や芸術の魅力を紹介。科学は生物学と地学のファンです。

曙光 MORGENROOD

Kindle 電子書籍

Kindle Unlimited 読み放題の分冊をリリース。
本作はアクション満載のSFではなく、人間ドラマに重点を置いた古典的な文芸作品です。
専門用語は極力使わず、海洋科学や建築の予備知識がない人でも分かりやすい内容に仕上がっています。