今この子に「生きろ」と言うことは、「死ね」と同じくらい残酷に思える。

「死にたい」の反語は「生きろ」ではなく、「そんなあなたの側に居たい」だと私は思います。「そんなあなたが好き」という言葉もありますね。

大洪水で父親を亡くしたヴァルターは、移住のストレスもあり、すっかりやつれて、悪夢にさいなまれるようになります。

母のアンヌ=マリーは、なんとか息子を力付けようとしますが、サッカーも、学業も、父に結びつく思い出は息子の心を苦しめるだけ。かっては少年サッカーのスターだった息子も、同じ年頃の少年らが元気よくサッカーに興じる姿を見て、幼子のように涙をこぼすだけです。

 だが、彼は痛いほど金網を握りしめ、幼子のように涙をこぼすだけだ。以前は肉付きもよく、ピューマのようにしなやかな体つきをしていたのに、今は痩せて見る影も無い。このままでは高校はおろか、中学校を卒業することさえままならないのではないか。子犬のように声を押し殺して泣く息子の姿にアンヌ=マリーも胸を刺し貫かれ、今、この子に「生きろ」と言うことは、「死ね」と同じくらい残酷にも思えた。

大洪水と父の死 繰り返される悪夢と心的外傷のボツ

傷ついた子供に「頑張って生きるのよ」と言葉で励ますのは簡単ですが、絶望しきった人間に、生きる力など、そうそう湧いてくるものではありません。
まして死んだ親への愛着に対し、慰める術もないというのが現実ではないでしょうか。

打ちひしがれた息子の姿を見て、アンヌ=マリーは、今、息子に「生きろ」と言うことは、「死ね」と同じくらい残酷に感じ、ただただ側に寄り添うことを選びます。あれこれ立ち直りを急がせるより、心の傷が癒えるのを、ゆっくり、共に待つ姿勢が大切なのです。

心が弱った人にとっては、幾千の励ましより、目に見えるアクションより、ただ黙って側に寄り添うことが最大の支えです。

逆に、支援者が「何かしなければ」と急ぐのは、「何もしてない(できない)」自分への負い目や罪悪感の裏返しかもしれません。

Photo:Quang Nguyen vinhによるPixabayからの画像

この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャーファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。好きな言葉は寺山修司の「詩を作るより、田を作れ」。昨今の生産重視の風潮にささやかに反抗しながら、古典文学や芸術の魅力を紹介。科学は生物学と地学のファンです。

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